「終わった〜。」
令和元年、GWの最終日である5月6日の夕方4時3分。
少し日が傾いて、薄暗くなってきた自分の部屋でつぶやく。
GWが終わってしまったことによる「終わった〜」ではない。
いなフリに関する記事の作成が終わったという意味で、つぶやいた言葉だった。
「いなフリに関わる全てのものが、終わってしまったんだな」って思うと僕はすこし寂しくなった。
4月1日から4週間、田舎フリーランス養成講座に参加していた。 本記事は、いなフリ後編で、前編に関しては先に以下を読んできてほしい。 田舎フリーランス養成講座in能登を終えて結局、このGW中ずっといなフリのこと考えていた。
「切り替えなくちゃいけない」と思っていてもtwitterやslackを見て、そのたびに懐かしい気持ちと寂しい気持ちに襲われていた。
むしろ本当はその気持ちに、ずっと浸っていたいのかもしれない。 そんなことを思いながら、書いた文章を見直す。 色々なものが混ざり合っていて、とても読めたものではなかった。 この時に、「前編と後編を分けよう。」って思った。 この後編の記事は、考えだけを引っ張り出して文章化した。 「いなフリは人生の1ページだよね」って言ってた彼女や「いなフリはいなフリ」って言ってた彼を思い出しながら。GW中の過ごし方と考えたこと
いなフリが終わった翌朝は、すこしバタバタしてた。
それでもあの神社へ行って、美しい光景を目に焼き付けた。
雨が降ってきた岩車の海岸沿いを歩いて、ぼりちゅに邸に戻ってきた。
1ヶ月お世話になったぼりちゅに邸の掃除も終え、気付くとさよならの時だった。
でも僕は足早に車に乗り込んだ。
時間を掛けて挨拶や別れをすれば、どうなるかわかってたから。
金沢でひとりずつ別れた時も、最後に金沢駅でふたりから見送ってもらった時も、もう少し何か伝えればよかったと思った。
でも、その後悔が押し寄せたのは、新幹線に乗って窓から見える景色がすこし滲んできた時だった。
東京に着いてから、友人に会ってこの1か月間の話をした。
彼らには、到底理解できないようだった。
僕が見た世界は現実だったのに、東京に帰ってきた途端夢のように感じて余計に寂しくなった。
能登に行く前に、ひとつだけ不安なことがあった。
それは、いなフリに参加して、気持ちが揺らいでしまうことだった。
そう、「もし、今すぐフリーランスから起業という道を選びたくなったらどうしよう」って不安。
参加する前の不安は的中してしまった。東京に帰った僕にとって「そういう世界があることを知った」ことは悩みとなった。いなフリに行くまで生きてきた道は、王道とまではいかないけど一般的に「普通」もしくは「順当」と言われるようなものだった。
Fラン大学からコンサルに入った時点で、少し逆転した感じもした。転職できた時点で、ある程度の市場価値もあるというのもわかった。
でも、その瞬間に冷めてしまった。
このままいくと、30歳くらいで年収800万を超え、結婚する。40歳くらいで1200万で都内で暮らしつつ、コンサルから事業会社へ転職してまったり。
50歳では役職について1500万くらいで60歳で定年。65歳まではシニア社員で働いてその後世界旅行とか行って老後を楽しむ。
っていう未来が見えた途端、つまらなくなった。
多くの人はこういう未来を手に入れるために、死ぬ気で頑張ってるのは知ってるけど、僕にとってはそこまで価値がないように感じた。
それでいなフリに参加して、別の生き方を知りたいなって。
様々な人と話をしていく中で、「そんな価値観ありかよ!」って思うようなことに出会って驚いた。
そのまま生きていたら出会うことがなかった価値観と人に強烈な嫉妬を抱いた。
僕が息継ぎなしで全力疾走してきた5年間は、なんだったのだろうと虚しい気持ちにもなった。
「そういう世界があることを知った」ことで僕の人生は、どうなるかわからなくなっていた。
正確には、「どうしたらいいか、わからなくなった。」
電車を降りた先に見えた道
この1ヶ月を過ごしたことで、僕の普通はほかの人の「普通」では無くなった。 今までは企業という電車に乗って、人生を進んできた。 我慢さえしていれば、お金がもらえるし、時間が経てば勝手に給料は上がる。 僕は、新しい電車に乗りかえるために、「転職」という駅で電車を降りた。 今まで乗っていた電車では息継ぎなしだった。それが理由で、次の電車に乗るのを意図的に遅らせた。 電車からすこし見えた別の道が気になって、駅から眺めた。 すこし近づいて、道の入り口から中を覗いた。 次の瞬間、僕はその道に飛び込んだ。そして1ヶ月歩いてみた。 寄り道をした先で生きた結果、「そういう世界があることを知った。」電車から見えた道より、入り口に立って覗いたあの頃より、少し歩いた今の方が鮮明で、綺麗で、過酷な道であることを全身で感じた。
まだ、20代の今に知ることが出来て、本当によかった。
もう一度言うけど、この段階で参加できて心の底からよかったなって思う。
言葉と価値観
ここまで書いてきた時点で、GW最終日の18時を回っていた。今書かないと忘れると思い、さらに打ち込む速度を上げた。
聞いた言葉は忘れないけど、感覚で捉えたこの感触を捨てる気にはならなかった。
「いなフリはいなフリ」
「確かにな~!」って思うんだけど、1回目だし、受講生だしよくわからない。
でも多分、「わからない」が正解なんだと思う。
なぜなら、僕より頭良い二人が絞って出した答えで、感覚の話だからだ。
感覚を言語化してしまうことが、もったいないとすら思った言葉がこれだった。
僕は、いなフリと感覚的に近いものを見つけたんだけど、それは長くなるので別の時に。
「いなフリは人生の1ページだよね。」 最初、ものすごく普通のこと言ってるなって思った。 でも、詳しく聞くと腑に落ちた。 人生で過ごしてきた時間は、どの時間もページに刻まれるわけじゃない。何か変わった時や充実した時間を過ごした後に、それは刻まれるんだよ。って。 おしゃれな言い回しだし、僕みたいな普通の人はそんなこと思いもしない。 いいひとに出会えたなって思った。すこし先の未来
GWも残り数時間だった。翌朝には次の会社に行くことが決まっている。 まだ、入社の書類も書いていない。ふと明日からのことについて考えてみた。 僕は、5月からIT系のコンサルティングファームで仕事をする。 そのかたわらライターやりつつ、ブログ書きつつ。 なんとか継続だけ意識して頑張ろうと思う。今年は点を増やす年だと思ってるから。 結構厳しいかなって思ってるけど、なんとかなるはず。 上で話した電車にはもう乗ってないと思ってて、ここから自分で歩く必要があると思ってる。それは会社員とフリーランスの間の道なんじゃないかって。
進んだ先に何が待ってるかはわからないけど、少し楽しみ。
いや、わからないから楽しみなのか。
5/6のGW最終日に記事を書いた理由は、ずっと浸ってた「いなフリの余韻」とさよならして、都会での戦闘モードに入るためだった。
ここまで書いた時点で、12時を超えていた。僕のGWは終わった。
僕は逃げるのが大嫌いだ。
でも明日から会社へ行くことは「独立から逃げているんじゃないか」って、一段と僕を悩ませた。
エピローグ
「本日からお世話になります。Nakatsuです。私は前職で・・・」
結局、朝も起きてしまったし、揃えるつもりがなかった書類も全て持ってきた。
50人くらいの役員や社員の前で自己紹介を話すことに、緊張してうまく口が回らなかった。
でも、僕の自己紹介を気に入ってくれた人が「私たちのチームにも参加しないか?」と誘ってくれた。
誘われたのは、2020年のあのイベントに関するチームだった。
その時に、「相変わらず運だけは、良いんだよな」って思った。
今回のいなフリに行けたのも、みんなに会えたのも「運」がよかったからだと思う。 でも、運に頼りっぱなしも嫌なので、少しだけ努力を続けてみるつもり。 多分、一緒に1ヶ月過ごしたみんなも頑張っていると思うから。