
2021年の2月、僕はひばりヶ丘に新しくシェアハウスを立ち上げます。
シェアハウスの理念というよりは「立ち上げた思い」を残しておきたくて筆をとりました。
僕のことを知っている人はもちろんのこと、リバ邸ひばりヶ丘:通称「なかちゅに邸」に興味があるひとも、ぜひ読んでほしいなと思います。
シェアハウス立ち上げに至った理由はいくつもありますが、基本的には自己満足です。
ただ、それは「世界を少しでもよくすること」や「社会的に意義のあることしたい」といった欲も含まれています。
立ち上げを決断した2020年を少し振り返りつつ、今の思いをまとめました。
最後まで読んでいただければ幸いです。
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2020年に訪れたコロナウイルスによる「世界の分断」
2020年はコロナウイルスによる影響で、世界が分断されましたね。
日本、そして東京で生きる僕も周りとの分断を受け入れるしかなかった。
快適に見える「リモート勤務」や「リモート通学」を喜んだのは最初だけ。
今では週に2,3回は通勤、通学したくなるほどではないだろうか。
コロナウイルスによって強制的に分断された世界で、僕は繋がりを求めるようになりました。
ここで言う繋がりとは、SNSだけの関係ではなく「リアルな繋がり」のことです。
『人とのリアルな繋がりを増やしたい』その手段のひとつがシェアハウスでした。
いつから僕らはやられっぱなしの世代になったのだろうか?
僕らの世代(U-29)は、どうしてか「やられっぱなしの世代」な気がしてる。
(もちろん、どの世代も大変なことは承知の上で。。。)
コロナや就職氷河期もそうだし、増税による金銭面の圧迫。(昔は消費税なかったからね。。。)
そして未来には老後2000万円問題、おそらくもらえない年金。
物価は上がるのに給料は上がらない。政治も高齢者向けの政策ばかり。
挙げ句の果てには、老害が押し付けた「ゆとり教育」で使えないと言われてしまう。
めちゃくちゃ理不尽だ。
ふた昔前は早く結婚して大家族を作るのが良いとされてたし、ひと昔前は大企業に入れば人生安泰だと言われてた。
昔みたいに誰かが教えてくれた道をただ生きているだけで、幸せになれる世界ではありません。
『僕らは僕らで幸せになる生き方を見つけないといけない』そんな現代になりました。
ネットに載ってない知識、情報。SNSでは作れない繋がりや経験。
今後、重要になるのはそういった『リアル』なことではないだろうか。
正直、こんな時代を一人で戦いぬくのはしんどい。
だからこそシェアハウスという仲間と一緒に、理不尽な世の中を戦っていきたい。
「やられっぱなしでたまるか」って感じ。
コロナで分断された世界の片隅に、内輪ノリと開放感が両立した環境を作りたい
シェアハウスを立ち上げる理由のひとつ目は「コロナで分断された世界の片隅に、内輪ノリと開放感が両立した環境を作りたい」です。
もっと抽象的にまとめると「人との繋がり」という話になります。
- 内輪ノリ→繋がりを強める
- 開放感→繋がりを広げる
みたいなニュアンスです。
内輪ノリの話
内輪ノリというと悪い印象に聞こえるかもしれないけど、正直これが一番楽しい。
「その場にいた仲間だけがわかる話題」や「みんなの思い出」なんてのは、内輪ノリと同じではないだろうか。
何かに挑戦してる人をみんなで応援して、終わったらみんなで打ち上げして。泣き笑いする。そんな日常が幸せなんじゃないだろうか。
例えば、
- 資格試験終わった後に合格して、お祝いする。
- 失恋した人をみんなで慰める。
上記の例はごく一部でもっと小さいことでも、一喜一憂できると思うんですよね。
(バイト初出勤頑張ったとか、遅刻しないで通勤、通学できたとか。)
普通に生きているだけでも、何かに挑戦したり何かを得るために戦う時がきます。
その時の喜びや悲しみを共有して泣き笑いする、そんな内輪ノリを実現したくてシェアハウスを開きました。
何かに成功して一人で喜ぶのって、味気ないじゃないですか。
何かに失敗して一人で悲しむのって、寂しいじゃないですか。
リビングで飯でも食べながら、みんなで話した方が絶対楽しいと思うんですよね。
開放感の話
もう一つはコロナによって閉鎖された空間を開放したいな〜。って思って。
withコロナの世界では新しい人と会うことすら、ハードルが高くなってしまいました。
でもシェアハウスにいるといろんなゲストが訪れます。一人暮らしでは絶対にありえません。
出会いの場を。。。っていうと胡散臭いですが、シェアハウスなら新しい出会いは確実にあります。
コロナウイルスによって分断された世界を、少しでも開放的にできるようなシェアハウスにしたいですね。
次の世代への恩返し
恩返しというと「お世話になった人へ返すもの」ですよね。
僕も多くの人に助けてもらいました。
今の僕が僕であるのも、様々な人にお世話になった結果だと思います。
ただ、僕のお世話になった人はみんな次のように言っていました。
「後輩に同じようにしてあげて」
この言葉の影響で、僕は「お世話になった人」ではなく「次の世代」へ恩返ししようと考えたわけです。
次の世代へ僕は何ができるのか?
そんな自問から「自分が大学生のときに欲しかった環境を作る」という考えに至りました。
僕が大学生のときには、
- 社会人と話す機会がない
- 時給以外で稼ぐ方法を学ぶ場所がない
- 勉強や挑戦を共にする仲間がいない
ような環境でした。
ならばその問題が解決できる環境を用意すればいいのではないか、と思ってシェアハウスの立ち上げに至りました。
僕の経験が全ての若者にプラスになるかはわかりませんが、
- 偏差値35のFラン大学→東証一部上場のエンジニア、ITコンサル
- 転職して年収150万円UP
- 独立してフリーランスエンジニア
- ブログで月間3万PV/毎月5万円程度の収入
- Webライティングで文字単価3円の継続案件
といった経験を元に、様々なことを教えられると思います。
プログラミングやライティングは稼げるレベルまで教えられます。
※全てをサポートできるわけではありませんし、稼ぐことを保証するものでもありません。
さらにいうと僕からブログ記事の執筆も依頼したいので、やる気さえあればお金に困らない環境になると思ってます。
(僕は記事が増えて、書く側も執筆料が入るので両者ハッピーです)
少し話が広がったので戻すと「僕が欲しかった環境を作り、次の世代へ恩返しする」これがシェアハウスを立ち上げる2つ目の理由です。
シェアハウスを立ち上げる理由のまとめ
シェアハウスを立ち上げる理由をまとめると
- コロナで分断された世界の片隅に、内輪ノリと開放感が両立した環境を作りたい
- 次の世代への恩返しとして、大学生のときに欲しかった環境を作りたい
の二つになります。
とは言いつつもあんまり堅苦しくなるのも嫌なので、まずは笑い声で満たされるような環境を作っていければって感じです。
余談:なんで「なかちゅに邸」という名前なのか?
僕が初めて住んだシェアハウスが「ぼりちゅに邸」という名前だったからです。
(超個人的な思いですみません。。。www)
石川県能登の限界集落にある「ぼりちゅに邸」は3ヶ月限定のシェアハウスで、現代版「精神と時の部屋」をうたっています。
海と山以外何もないので、何かに挑戦するにはうってつけ。
僕はそんなぼりちゅに邸に、1ヶ月しか住んでいません。でもその1ヶ月は本当に特別でした。
いなフリというプログラムを受けていたのも特別に感じた理由のひとつでしょう。
結局この1ヶ月があったから、次の世代への環境作りとかシェアハウスという考えになったのではないかと思います。
一人で何かに挑戦すると、気が滅入ってしまうんですよね。
でもシェアハウスみんなで誰かの成功を喜んだり、失敗を笑い話にしたり。
あの時一緒に過ごした人しか話せない話をするのが好きで、それが僕の考える内輪ノリなのかなって。
そんなぼりちゅに邸も今は誰も住んでいません。近いうちに閉めてしまう可能性もあるとのこと。
ぼりちゅに邸が閉まり無くなっても、そこで過ごした日々や思いは消えません。
あの時の仲間と集まり、あの時の思い出について話すこともあるでしょう。
ぼりちゅに邸のように"場所が消えても心に残り続ける"ようなシェアハウスにしたいと思って「なかちゅに邸」としました。